築城年代は定かではない。建武年間(1334年~1338年)に高瀬小四郎景忠によって築かれたのが始まりと云われる。
『播磨鑑』では浦上政宗の城とされ、永禄年間(1558年~1570年)に浦上政宗が龍野赤松氏の乙城を攻略したという。
天正6年(1578年)赤松広秀は羽柴秀吉に龍野城を追われて蜂須賀正勝の支配下に入ると乙城に移ったと云われ、後に竹田城を築いている。
乙城は養久集落の北側を東西に伸びた丘陵の一角にある乙城山に築かれている。現在は古墳の見学コースなど遊歩道が整備されており、城のすぐ近くを遊歩道が通っているが、城内は雑木林である。
主郭Iを最高所として南北に伸びた尾根に段々と曲輪を連ねている。北端は東西に竪堀1、2があり、その間は緩斜面になっているのでもともと堀切となっていたかもしれない。
曲輪の南端には土塁囲みの小郭Aがある。この部分は平坦面に土塁をつけたものではなく、すり鉢状に削り込んで土塁を残した形状をしている。西が開口しているのは改変のようである。南西、南東に続く尾根には堀が確認できず切岸のみである。
養久山古墳群遊歩道があり、入口は複数ある。わかりやすいのは養久公民館のすぐ近くにあり、案内板もある。
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