元和3年(1617年)建部政長によって築かれた。 政長は大坂の陣の功によって一万石の大名となり、摂津国尼崎より林田へ移り、中世窪山城のあった地に陣屋を築いて以後10代続いて明治に至る。
城は林田中学校の北にある丘に築かれている。 南面には石垣が残り、南西隅には隅櫓台があるが、現在その上に建っているのはトイレだ。
東端には一段低くなって建部神社があるが、その境界部分に土塁らしきものがあり、上に休憩施設がある。丘の東から北側にかけて公園と水路が巡っているかこれが堀の名残である。
南側の道路沿いには藩校である「敬業館講堂」が現存している。
敬業館講堂(現存 その他)
林田中学校前に道標が出ている。
最寄り駅(直線距離)