築城年代は定かではないが南北朝時代に赤松円心則村によって築かれたと云われる。 播磨国守護赤松氏が室町時代に守護所を置いて本拠とした城である。
嘉吉元年(1441年)赤松満祐は室町将軍足利義教を京の赤松邸で暗殺し、嘉吉の乱が起こる。満祐は播磨の坂本城に下向して幕府方の討伐軍と戦ったが、要害ではない坂本城を破棄して城山城に籠もって防戦した。しかし幕府方の攻撃を防ぐことができず、満祐は城山城で自刃して果てた。
赤松氏の後には山名持豊が播磨国守護となったが、応仁の乱が勃発すると赤松政則が山名氏を追い、その後もしばしば赤松氏と山名氏で播磨国を巡って戦いが起こった。 廃城の時期は明確ではないが、赤松氏がその居城を置塩城に移した頃に廃城となったとみられている。
坂本城は書写山の南麓、天神山の東麓にある平地に築かれていた。 規模は170m×170mで、周囲よりやや高い地に築かれている。現在は宅地などによって大部分が消滅しているが、土塁と堀の一部が残存している。
兵庫県立大学姫路書写キャンパスを目指す。南側の県道545号線県立大工学部前交差点を南へ曲がり、道なりに進んだ所に土塁の残欠があり案内板と石碑が建っている。
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