築城年代は定かではない。建武年間(1334年~1338年)頃に赤松則弘によって築かれたのが始まりとされる。
赤松則弘は広岡氏の祖と考えられるが詳らかではない。天文年間(1532年~1555年)になると出雲の尼子氏が播磨へ侵攻して諸城を次々と落としたが、このとき広岡駿河守村宣も尼子氏に降った。しかし、尼子氏が播磨から撤退すると、天文11年(1542年)には赤松晴政に攻められ降った。
楯岩城は標高249.9mの城山の西峰に築かれており、現在は登山道が整備されている。
最高所は三角点のある山頂部であるが、このあたりは祭祀にともなう基壇と思われる遺構は確認できるが、城郭遺構は見当たらない。
主郭はテレビ塔のあるところで最近案内板が設置されたようである。東背後の尾根は林道が付けられており改変が激しいが、南側には二条ほどの竪堀状地形が確認でき、堀切2があったと思われる。北側面にも大きな溝状地形があるが自然地形であろう。
主郭から南へ伸びる尾根には段曲輪群IIIがあり、巨石がゴロゴロしているが、西側面には石積がいくつか確認できる。
主郭から曲輪IIに下るところの西下にも大規模な石積が残されている。
主郭部から西へ下ると、西へ伸びた尾根上に曲輪群IV、V、VIがある。北側面には低い土塁地形があり、内側に浅い溝がつく。土の色が周囲とは異なり粘土質のような感じなので、土塀だったのだろうか。
曲輪VIIが城域の北西端で、林道で破損しているが、西下に堀切1が確認できる。
登山道入口は西麓の若王寺神社からついており、境内に案内板や駐車場、トイレがある。
テレビ塔までは林道が付いているようだが、一般車両は通行できない。
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