播磨 楯岩城はりま たていわじょう

城郭放浪記


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播磨 楯岩城の写真
掲載写真数
形態
山城(220m/170m)
別 名
太田城
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,石積,土塁,曲輪,堀切
城 主
広岡氏
縄張図
楯岩城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。建武年間(1334年~1338年)頃に赤松則弘によって築かれたのが始まりとされる。

赤松則弘は広岡氏の祖と考えられるが詳らかではない。天文年間(1532年~1555年)になると出雲の尼子氏が播磨へ侵攻して諸城を次々と落としたが、このとき広岡駿河守村宣も尼子氏に降った。しかし、尼子氏が播磨から撤退すると、天文11年(1542年)には赤松晴政に攻められ降った。

説 明

楯岩城は標高249.9mの城山の西峰に築かれており、現在は登山道が整備されている。

最高所は三角点のある山頂部であるが、このあたりは祭祀にともなう基壇と思われる遺構は確認できるが、城郭遺構は見当たらない。

主郭はテレビ塔のあるところで最近案内板が設置されたようである。東背後の尾根は林道が付けられており改変が激しいが、南側には二条ほどの竪堀状地形が確認でき、堀切2があったと思われる。北側面にも大きな溝状地形があるが自然地形であろう。

主郭から南へ伸びる尾根には段曲輪群IIIがあり、巨石がゴロゴロしているが、西側面には石積がいくつか確認できる。

主郭から曲輪IIに下るところの西下にも大規模な石積が残されている。

主郭部から西へ下ると、西へ伸びた尾根上に曲輪群IV、V、VIがある。北側面には低い土塁地形があり、内側に浅い溝がつく。土の色が周囲とは異なり粘土質のような感じなので、土塀だったのだろうか。

曲輪VIIが城域の北西端で、林道で破損しているが、西下に堀切1が確認できる。

案 内

登山道入口は西麓の若王寺神社からついており、境内に案内板や駐車場、トイレがある。

テレビ塔までは林道が付いているようだが、一般車両は通行できない。

最寄り駅(直線距離)
2.6km 太市駅
3.4km はりま勝原駅
3.6km 余部駅
3.7km 網干駅
4.5km 英賀保駅
主な参考文献
現地案内板
日本城郭大系〈第12巻〉大阪・兵庫(新人物往来社)
都道府県別日本の中世城館調査報告書集成 (15)(東洋書林)(兵庫県の中世城館・荘園遺跡)
中世播磨250の山城
所在地/地図
兵庫県揖保郡太子町上太田
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
3.3km 播磨 才構居
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4.3km 播磨 白鳥構居(実法寺)
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5.5km 播磨 英賀城
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6.3km 播磨 衣笠城
6.3km 播磨 梶山城
6.6km 播磨 龍野城
6.8km 播磨 鶏籠山城
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7.3km 播磨 白山城
7.7km 播磨 林田陣屋
7.7km 播磨 伝台山城
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7.9km 播磨 姫路藩 飾磨砲台
7.9km 播磨 姫路城
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最終訪問日
2024年7月
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