築城年代は定かではない。はじめ高橋紹運の家臣が在城していたが、後に筑紫氏の持城となり、天正14年(1586年)には島津氏に味方した秋月氏が陣城として利用したという。
高尾山城は九州国立博物館の南にある高雄山に築かれている。三角点は標高151.1mの所にあるが、城が築かれているのはその東方、北西から南東へ伸びた峰である。
高尾山城は地形に沿って弓形状になった丘陵頂部をそのまま利用し、北端付近にはntt無線塔がある。北端の曲輪は北側面に横堀があり、北西に続く尾根を堀切で遮断している。 南へ伸びた長い曲輪は西側に低い土塁が付き、南端までカバーしている。南端から東へ続く尾根に堀切が一条、南へ続く尾根に堀切を二条設けて遮断している。
南にある太宰府東中学校の北に高雄公園があり無料駐車場がある(地図)。この公園の階段を北へ上がっていくとコンクリートの大きな建物があるが、その裏側に道標が建てられており、城跡まで道が付いている。
実際に登ったのは石穴神社からで、高雄山山頂にはベンチがあり、この辺りには遊歩道が付いている。下山時に遊歩道を降りてみたから筑紫女学園大学の敷地に続いており、降りられずに再び登って石穴神社へ戻っていった。
最寄り駅(直線距離)