築城年代は定かではない。
永禄2年(1559年)には筑紫右馬頭惟門の居城であった。天正年間(1573年〜1592年)頃には筑紫広門の家臣帆足備後守善右衛門尉が天判山城、飯盛城、堂山城を守っていたが、天正14年(1586年)島津氏によって攻められ落城した。
天判山城は武蔵寺の南背後に聳える標高257.5mの天拝山山頂に築かれている。 天拝山は菅原道真所縁の地として山頂には天満宮が祀られ、ハイキングコースとして整備されている。
天判山城は天拝山山頂に築かれているが、主郭部一帯は神社や展望台などがあり改変されている。神社から南へ伸びた尾根に堀切が一条、東へ続く尾根に二条の堀切が残されている。
武蔵寺の隣にある歴史自然公園に駐車場があり、そこからハイキングコースが整備されている。(地図)
登りは堂山城を経由して天神様の経を登り、下山は飯盛城を経て東麓へ降りるルートで散策した。
最寄り駅(直線距離)