天智4年(665年)築かれた。 天智2年(663年)に唐・新羅軍と対峙した日本と百済の連合軍は海戦において大敗した。大陸からの侵攻に備えて太宰府を置き九州の各所に城を築いた。そのうちの一つが大野城で百済から亡命した貴族の指導のもとに築かれた朝鮮式山城である。
大野城は大野城市・太宰府市・糟屋郡宇美町にまたがる四王司山脈一帯に築かれた古代朝鮮式山城である。
今回歩いたルートは「大宰府口門礎」→「大石垣」→「広目天礎石群」→「大城山(毘沙門天)」→「百間石垣」→「北石垣」→「小石垣」→「主城原礎石群」→「村上礎石群」→「遠見所」→「焼米ヶ原」で、時計回りに土塁線より一部内側を通ってほぼ一周するものです。雪が降りそうな雲行きで日没の時間との兼ね合いもあり、やや急ぎ足で回って二時間少々でした。
大野城市乙金にある大野城市総合体育館(地図)の受付窓口で大野城に関する資料パンフレットが頂ける。その中にある遺跡地図と遊歩道を記した地図がとても役に立つので是非頂いてから散策することをお勧めする。
一般的に一番の見所と云われる百間石垣は糟屋郡宇美町(地図)にあり、若干の駐車スペースがあるので簡単にいくことができる。
外周を一周するなど時間を掛けて散策する場合、一番広い駐車場は県民の森でほぼ中央に位置している。ただし開門時間と閉門時間があり、少し遅くなるようだと利用しづらい。駐車場はもう一ヶ所、大宰府側にあり、ちょうど大宰府口近くで土塁線を一周するのにはちょうど良く、また閉門時間もない。ただし駐車スペースは小さいので台数には制限がある。
最寄り駅(直線距離)