筑前 大宰府ちくぜん だざいふ
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7世紀後半に天智天皇により築かれた。
古代の都城(とじょう)で北は大野城、南は基肄城、平野部は水城で防備している。
百済と結んで朝鮮半島で新羅と唐の連合軍と戦ったが破れ百済は滅ぼされ日本水軍は白村江の海戦で大敗した。 これにより日本は新羅・唐からの侵攻に備え各地に城を築くことなり九州の統括などを行うため政庁が置かれた。