築城年代は定かではない。
城主は岩屋城主高橋氏の重臣北原鎮久であった。天正8年(1580年)北原鎮久は大友氏が耳川合戦で大敗を喫したことから、大友を裏切って秋月氏に内通しようとした所、高橋紹運に露見して岩屋城にて成敗された。
龍ヶ城は笹尾山から西へ派生した尾根の標高232mに築かれている。
主郭にはかつて神社が祀られていたようで後世の石垣などがあり改変されている。主郭は一段小高く周囲に帯曲輪がある。西へ伸びた尾根に曲輪が続き南端が一段低くなる。
主郭から東へ伸びた尾根は深い堀切で遮断し、そこから更に東の尾根に竪堀や堀切を配している。主郭の周辺は連続竪堀、西端の側面にも堀切と竪堀が多く残る。
西麓にある住宅地の奥から入って水路に沿って少し北へ廻るとそこから山道がある。(地図)
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