阿志岐城は1999年に新たに発見された古代山城の一つである。 一般的に古代山城は白村江の戦いにおいて敗れた大和政権が大陸からの侵攻に備えて築城したと考えられているが、すべての古代山城がそうであったのかは定かでない。 阿志岐山城の近くには古代の蘆城駅家(あしきのうまや)があり、それに関連づける説もある。
阿志岐山城は標高338.8mの宮地岳を山頂とし、ここから北西の山麓にかけて城域と推測されている。発見されている遺構は麓近くの第一水門、第二水門、そして山腹にある第三水門、そして版築土塁である。確認されている範囲で土塁は山頂まで伸びておらず、山腹で止まっているようである。これが未完成を意味するのか、あるいはその時点で完成を意味するのかは見解が分かれている。
宮地岳の登山道は南西麓にある西方寺、北西麓にある圓徳寺のルートがある。
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