築城年代は定かではない。応永5年(1372年)九州探題今川了俊がこの木山城に「城山御陣」として本陣を構え幕府方の拠点となった。
文明10年(1478年)大内政弘に筑前を追われた少弐政資が一時的に木山城に籠もった。その後、ここも追われた政資であったが、延徳元年(1489年)や明応6年(1497年)にも木山城で大内氏や渋川氏と戦っている。
木山城は古代山城基肄城の一角にあり、標高404.5mの基山山頂に築かれている。
主郭は南北に長く西下の腰曲輪との間に空堀がある。腰曲輪から東の尾根に向かって行くと連続竪堀があり、おおきなコブが残っている。東尾根方向に曲輪が伸びていたようであるが、今は展望台がある。
主郭から北へ伸びた尾根には通称「イモノガンギ(芋の雁木)」と呼ばれる三重堀切がある。
瀧光徳寺からさらに奥へ進んでいくと草スキー場があり、そこに駐車場がある(地図)。この草スキー場から尾根上まで登るとすぐ南にイモノガンギがある。
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