築城年代は定かではない。
天文2年(1533年)大内義隆の家臣陶道麟が少弐氏を攻めたとき、宗筑後守秀恒が鏡山の城を攻め落している。
筑紫氏の勝尾城の支城で永禄年間(1558年〜1570年)には筑紫広門の叔父草野真清が在城していた。
鏡城は標高201.1mの群石山の西南西、南東に伸びた標高191mの山に築かれている。現在は「勝尾城筑紫氏遺跡」(勝尾城、葛籠城、鷹取城、鬼ヶ城、鏡城、若山砦)の一つとして国指定史跡に指定されている。
主郭と思われる山頂部は加工が少ない緩斜面で、なぜか南東の先端に小さな二重の堀切を入れている。しかし、その南下にある二郭、三郭はともに土塁を用いて曲輪を造成している。
主郭の北東、南西下にはともに畝状竪堀群があり、南東下の三郭の南側面にも畝状竪堀群がある。この畝状竪堀群の下方には尾根を遮断する二重堀切があり、西側は土塁が鈎状に屈折している。
舗装された林道があり、主郭背後を切り通している。切り通しの東に駐車できるスペースがある。
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