明応6年(1497年)勝尾城主となった筑紫氏三代の居館である。 筑紫氏は大宰少弐武藤氏の一族と云われ筑前国御笠郡筑紫の発祥である。
天正14年(1586年)島津氏によって攻められ落城、筑紫広門は豊臣秀吉の九州征伐に九州征伐に従軍し筑後国上妻郡に領地を得たが、関ヶ原合戦で西軍に属して改易となった。
筑紫氏居館は勝尾城のある城山の南山麓にある筑紫神社の境内に築かれていた。現在は「勝尾城筑紫氏遺跡」(勝尾城、葛籠城、鷹取城、鬼ヶ城、鏡城、若山砦)の一つとして国指定史跡に指定されている。
筑紫神社が館跡で「御館(おたち)」と呼ばれている。南東側に虎口があり石垣があるのだが、埋め戻されたのか、あるいは崩れているのかほとんど分からなくなっている。
道標に従って車で行けば神社の参道入口付近にある駐車場に至る。
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