築城年代は定かではないが宇都宮氏(城井氏)によって築かれたと云われる。
宇都宮氏(城井氏)後期の居城と考えられているが詳らかではない。北麓には溝口館があり、天正16年(1588年)城井鎮房が中津城で黒田長政に謀殺されたとき、鎮房の父長甫はこの溝口館に居たと云われ、その後黒田氏の軍勢が押し寄せ宇都宮氏は滅亡した。
大平城は城井谷の奥にある寒田(さわだ)集落から求菩提山側にある標高480mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり、そこから北、南、北西の三方に伸びた尾根に曲輪を配している。主郭は東西に長く、北下に北尾根と北西尾根を結ぶ武者走りがある。
北尾根と南尾根はそれぞれ東側を土塁状に残し、西側を削平して小さな段とする。北西尾根は南側に小さな段を設け、先端の曲輪には土塁として伸びている。
主郭から南へ150m程離れた南峰には南北二段の曲輪がある。歩いた範囲では堀切は一条も見あたらない。
寒田と求菩提を結ぶ県道32号線が大平城のすぐ下を走っている。北側に開いている谷間の部分に『宇都宮鎮房』の幟が一つあり、ここが山への取り付き場所(地図)。急斜面を尾根上によじ登れば城域である。周囲に駐車スペースはないが車はほとんど通らない。