この城は各文献によって呼称が異なっているので、それぞれ記載しておく。 『日本城郭大系』は若山城、『宇都宮氏城館跡』は本庄城、『福岡県の城郭』は若山城(別称として本庄城)、『福岡県の城』は若山城(本庄城)である。なお天徳寺の方は本庄城と呼んでいるようである。
築城年代は定かではないが宇都宮氏によって築かれたと云われる。 明応10年(1501年)豊後の大友氏と周防の大内氏の戦いで、大友氏に降伏した城井直重の籠もる本庄城を大内方の佐田泰景などが攻め、これを落としている。
本庄城は天徳寺の南背後に聳える標高315mの山頂に築かれている。天徳寺は豊前宇都宮氏五代宇都宮頼房が正中元年(1324年)に建立した寺院で、宇都宮氏の菩提寺となり、境内には宇都宮氏の墓碑が残っている。
本庄城のある山頂部には現在鉄塔が建っており、地形が大きく改変されており遺構ははっきりしない。南へ伸びた尾根に堀切が一条残されているのが唯一の明瞭な遺構で、尾根先から北西、北に伸びる尾根には堀切は見あたらない。
天徳寺の境内一帯が居館であったようで、境内の背後には土塁と空堀が残されている。また、北へ伸びた尾根の北端部にも城郭遺構があり、これは別途「本庄城北砦」として紹介する。
鉄塔整備用の道は天徳寺の東下にある数軒の集落の所から付いている(地図)。ただ、この道は途中階段が流出していて分かりづらい部分もある。登りに利用したのは北砦からの尾根道で、どちらかといえばこちら側のほうが歩きやすい。
最寄り駅(直線距離)