築城年代は定かではないが城井(宇都宮)鎮房によって築かれたと云われる。
城井谷入口にあたるこの地に出城を構え、家臣の壁兵庫と城井宮内に兵を与えて守らせたが、これを聞いた黒田長政は母里太兵衛、小河伝右衛門を派遣して攻めさせた。
赤幡城は城井川東岸の北へ伸びた丘陵に築かれている。城井川に面した断崖には淵上寺があり、赤幡城はちょうどその上にある。
西下を流れる城井川を背にする形で築かれた単郭の城で、西を除く三方に幅広の空堀を巡らされている。東は空堀の外側が土塁になっているが、北や南は土塁と云うほどハッキリとした高まりになっておらず、空堀として窪んでいるのみである。南の空堀には土橋があり、曲輪の北東隅は東に張り出して横矢掛けになっている。
手持ちの縄張図には描かれていないが、南側はさらに外側に土塁が付いており、一箇所開口部がある。
築城icから県道237号線を南下して安武交差点を東へ曲がり橋を渡る。赤幡八幡宮の手前に赤幡観音の道標があるので、それを南へ入り林道へ進むと溜め池の脇に駐車可能なスペースがある。そこから西へよじ登ればちょうど城跡である。
最寄り駅(直線距離)