豊前 築城城ぶぜん ついきじょう
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築城年代は定かではないが別府太郎によって築かれたと云われる。
応永6年(1399年)大内盛見が大軍を率いて出前に侵攻したとき、極楽寺城主であった塩田弥十郎と兵部丞は戦わずに降伏したという。『福岡県の城』には築城城の別称として極楽寺城を記しているが、『九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告』では築上町極楽寺に極楽寺城が記されている。
築城城は現在の極楽寺一帯に築かれていたという。 『福岡県の城』によれば大正の頃まで極楽寺を中心に堀跡が残っていたという。極楽寺の南にある公園が二の丸という。