明治2年(1869年)小笠原忠忱によって築かれた。
慶長2年(1866年)第二次長州征伐で敗れた小倉藩は小倉城に自ら火を放ち退去した。 慶長3年(1867年)に長州藩と和睦した小倉藩は香春に移り、後に豊津に陣屋を築き豊津藩となったが、明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となった。
豊津陣屋は現在のみやこ町役場豊津支所の一帯に築かれていた。南にあるグラウンドになっている部分が主な敷地で、西に一段小高く小笠原神社が祀られている所が天守予定地であったという。大手門は東で、幼稚園の北にある鳥居の建っている所がその跡である。
明治3年(1870年)には豊津藩の藩校育徳館が開校し、その正門であった黒門が現在の育徳館高校の国道付近に移築現存している。
黒門(移築 城門)