『日本城郭大系』および『福岡県の城』では高畑城として記載されているが、南朝方として冬綱・家綱父子が挙兵した高畑城は「みやこ町犀川木井馬場」の辺りにあったものという。
松丸の宇都宮氏館は『城井谷絵図』で『城井屋敷跡』と記されているが、文献では確認されていない。この館跡は発掘調査がなされており、十四世紀から十六世紀頃の館跡と推測されている。大規模な中世居館跡で掘立柱建物跡は二十五棟検出されている。
宇都宮氏館は松丸にある比高5m程の台地の上に築かれている。現在内部の主要部は果樹園となっており立ち入り禁止の看板が建っている。
台地の北側に東西に空堀状の切通があり道路が通っているが、これは空堀跡ではなく後世に付けられた切通である。西側は道路と曲輪部との間の畑が空堀跡で、区画する土塁らしきものが残る。