この城は各文献によって異なる見解がなされているので、それぞれ紹介しておく。『城井谷絵図』には茅切山として黒田氏が向城を築いたと記されている。
『福岡県の城郭』では本庄城として記載されており、北にある茅切城を黒田氏の向城、この小川内城を城井氏の本庄城と推測している。
『宇都宮氏城館跡』では茅切城と小川内城をそれぞれ黒田氏・吉川氏が築いた向城と推測している。
『福岡県の城』では小河内城として同じく黒田氏の向城としているが、縄張図が他のものと異なっている。この図面がどこを描いているのかはっきりしないが、小川内城と茅切城の間にある標高372mのピークから東尾根側の地形に似ている。
『日本城郭大系』には小河内城として古川美濃守築城と記している。
小川内城は茅切城から南に600m程離れた標高398.5mの山に築かれている。南北おおよそ200m程の規模を持つ。
主郭は三角点のある標高398.5mの南側にあり、南北に長く伸びた曲輪で南端の東から南に掛けて低い土塁が残り、南端付近は一段低くすり鉢状になっている。そこから南へ伸びる尾根に曲輪が続き、空堀と土塁で南尾根を遮断する。これより南も平坦面が続くが、そのまま自然地形となっている。
主郭の北側は堀切を挟んで三角点のある一段小高い曲輪がある。そこから北東、北西の尾根に分かれ、甘い削平の曲輪が続いている。
主郭の東側面には湧き水があり、東尾根にある曲輪は東端部に内側に石を並べた土塁が付いている。
小川内城から茅切城へ続く尾根の標高372mとの間のある小ピーク付近に石塁を伴う土塁遺構が尾根伝いに残されている。この辺りは尾根も緩斜面であり、土塁は特に東よりに設けられている。北側は特に二重に土塁が設けられており、その間は細く2m程である。
登山道は東麓の本庄側からある。中河内川に架かる論手橋を渡り、そのまままっすぐ進むと林道へ入っていく。林道を進むと動物除けの柵があり、その柵を開けて入ると左奥に沢沿いに登っていく山道が付いている。駐車場はこの林道の所か、本庄の大楠(大楠神社)に駐める事ができる。(登山道入口の地図)
登山道を登り詰めて尾根上に出て北へ行くとすぐに茅切城、南へ500m程進むと小川内城に至る。
最寄り駅(直線距離)