築城年代は定かではない。十八代城井鎮房の時代には重臣の伝法寺兵部大輔鑑満がおり、堂山城主と考えられている。伝法寺氏は宇都宮氏の一族で宇都宮頼房の子景忠を祖とする。
堂山城は天徳寺の末寺で宇都宮氏所縁の正光寺の南西に聳える標高155mの山に築かれている。この場所は城井川沿いに開けた城井谷が特に狭くなった地点で、本庄以南への入口になっている。
堂山城は標高155mの最高所に主郭を持ち、北東に開けた谷間を挟むようにコの字になった尾根に曲輪が残る。
主郭は山頂にあり西尾根を堀切で遮断する。東下の曲輪は広く、北に土塁を設けてその脇から通路が北へ続き、腰曲輪を経て浅い堀切の残る曲輪へ続く。東へ伸びた尾根の先端は、発掘調査によって四基の柱穴が検出され、櫓跡と見られている。その北側にスロープとなった通路が東下へ伸びている。
谷の南の曲輪群は最高所に南北二段、東に一段、西に二段の小さな平段が残る。 谷の北の曲輪群は東西二段ほどの曲輪になっている。この谷間部分は段々に造成されており、居館としては最適の地であるが、畑跡かもしれない。
正光寺から山に入る道が付いている。本堂の前を横切って南端まで進むと広場があり、その一角から山に入る道が付いている。
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