築城年代は定かではないが貞和年間(1345年〜1350年)頃に宝山伊豆守によって築かれたと云われる。 宝山伊豆守が馬ヶ岳城の出城として築いたもので、後に安東重秀が城主となり代々安東氏が城主となった。
永禄年間(1558年〜1570年)の城主は安東長好で、天正7年(1579年)宝山城主安東市次郎は馬ヶ岳城主長野助盛とともに杉重吉の居城蓑島城を攻め落とした。
城は王埜八幡宮、養徳寺のある小山に築かれていた。
現在は八幡宮の北側に段々となった削平地が残っている程度であるが、以前は周囲に濠が残っていたと云う。