遠江 相良館とおとうみ さがらやかた
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平安時代末期から相良庄を支配した相良氏の館である。
建久4年(1193年)相良頼景は罪あって肥後国球磨郡多良木へ下向を命ぜられている。また、相良長頼も建久9年に球磨郡人吉庄に下向を命ぜられた。しかし、相良頼綱など一族のなかには相良荘に残って支配を続いていたものが居たという。
人吉荘に下向した相良氏嫡流は人吉城を居城として戦国時代を生き抜き、江戸時代は人吉藩として明治まで続いている。
相良館は人吉中学校から萩間川を渡った北側に築かれていたという。
もともとは2つの島状台地が並んだ微高地であったというが、現在はほとんど面影がない。 遺構はなくグラウンドの隣接地に標柱があるだけである。