元亀2年(1571年)武田信玄によって築かれた。 元亀元年(1570年)小山城を築いて遠江に侵入した武田氏は、元亀2年(1571年)更に南下して滝境城を築いた。
信玄が没し勝頼の代になると高天神城などを落とし遠江国に勢力を伸ばしたが、天正3年(1575年)長篠の合戦で織田・徳川氏に大敗すると高天神城も奪還され天正10年(1582年)滝堺城も徳川氏の手に落ちた。
城は小高い丘から南東に張り出した尾根の先にあり、南東の端が主郭で空堀を挟んで二の丸、三の丸と配している。
どの曲輪も茶畑となっており、空堀には土橋のような車道が通っている。主郭部には僅かに低土塁が残されている。
主郭の空堀から東へ降りる山道が"城山坂"と呼ばれ、それを降りると平坦地がある。