詳細不明。勝間田氏の支城の一つとされる。
滝堺古城は台地から東へ伸びた標高70m付近に築かれていたという。
地元で「ジョウの原」と呼ばれ、伝一の曲輪とされるのは西側の広大な茶畑になっているところで、遺構はない。
「頭之城記念碑」が建っているのは、そこから東へ伸びた尾根の先端部で、ここは急峻な自然地形で天然の要害になっているものの、堀切や切岸の造成など遺構と考えられるような地形は確認できない。
伝一の曲輪の茶畑にある農道の東端部から伝二の曲輪につながる尾根に下っていくことができるが、境界部分がヤブに埋もれていて入口を探すのに苦労した。