築城年代は定かではない。今川系新野氏の居城と考えられており、八幡平城がそれ以前の新野氏の居城であった。
舟ヶ谷城は新野川に沿って南北に伸びた丘陵に築かれており、現在は登山道が整備されている。
舟ヶ谷城は主郭や二郭など主要な曲輪群が土取によって消滅しており、曲輪として保存されているのは北端の北曲輪くらいである。しかし、尾根に随所に残る堀切は規模も大きく明瞭で見ごたえのある山城である。
北曲輪は南尾根の竪堀と内側の土塁で虎口がついている。
登山口は北と南にあったが北側は崩落で2020年2月現在通行止めであった。
南口は民家の脇の細い車道を登り詰めたところに駐車場と案内板がある。
最寄り駅(直線距離)