永禄年間(1558年〜1570年)黒田義則によって築かれた。 黒田氏は越前黒田荘に居住したことにより黒田姓を名乗り永禄年間に黒田義重が遠江に下ったという。
天正2年(1574年)武田勝頼が高天神城を攻略したとき守将の一人であったが落城後帰農した。
旗本本多助久が四千五百石を分知されると黒田氏は代官として仕えた。
母屋を土塁と水堀が囲み平城の様相を呈しており、長屋門が現存し国指定重要文化財となっている。
現在も宅地として利用されているが、敷地の庭などは見学路として開放されていた。
無料駐車場がある。
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