明和5年(1768年)田沼意次によって築かれた。 その前身は甲斐国武田氏によって築かれたもので、後に徳川氏の領する所となり、鷹狩りに使用する「相良御殿」となっていた。
江戸時代になると陣屋・城主格の大名が次々と入れ替わったが、本格的に城が築かれたのは、将軍の側用人から後に老中まで出世した田沼意次によってである。 田沼は老中時代に五万七千石を領していたが、老中を辞して失脚すると家督を継いだ孫の意明は陸奥国下村で一万石となり、相良城は破却された。
文政6年(1823年)意次の二男意正が相良に一万石を与えられ、相良城の二の丸に相良陣屋を築き明治まで続く。明治元年(1868年)徳川宗家が駿府七十万石に移ったため、相良藩田沼意尊は上総国小久保へ転封となって移った。
牧之原市相良資料館が建つ地が本丸跡で、そこに石碑が建っている。 大半の遺構は消滅しているが、二の丸の土塁が校門脇に、仙台河岸(地図)には石垣が残っている。
御殿(移築 御殿)