築城年代は定かではない。周防大内氏の分流と伝えられる津原氏の居城という。
永和年間(1375年〜1379年)に津原主計頭善勝が城主であったが、嫡子善次を合戦で失い青山合戦にも敗れ、出家して道西と名乗り、居館に善勝寺を建立したという。
稲積山城は善勝寺の西背後に聳える標高76.0mの山に築かれている。現在は主郭下に社が祀られており参道が付いている。
社が祀られた背後に一段小高く主郭があり、南に大きく三段の曲輪が造成されている。その下に参道が堀切らしき凹みに接続し、さらに南に下ると浅いが幅広い堀切がある。主郭部付近の造成と周囲の造成具合が異なり、社が祀られていることなどから、主郭部辺りは後世に手が加わっているのかもしれない。竪堀状の遺構もあるが、全体的に不明瞭である。
東麓の善勝寺は由緒書きで居館とされる。参道は西側からあり、高速道路の東側を南から入って行く道のようである。
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