元治元年(1864年)毛利元周によって築かれた。 文久3年長府藩はフランス軍艦の報復攻撃を受け大打撃を被った。 これにより急拠陣屋を田倉の地に移す事になり7ヶ月程の工期で築かれた。
勝山御殿は南を除く三方を山に囲まれた谷間の奥地に築かれている。 北に且山城、西に青山城、北東には四王司山城と中世城郭に囲まれた地である。
以前訪れたときは公園整備中であったが、現在は公園も完成しきれいに整備された御殿跡と案内板が設置されていた。
北から南にかけて本丸(奥)、本丸(表)、二ノ丸、三ノ丸と並び、西と南面が石垣となっている。