長門 南部山城ながと なべやまじょう
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築城年代は定かではない。正平年間(1346年〜1370年)に厚東武直が居たという。
毛利氏が大内氏を攻め滅ぼしたとき、毛利元就の家臣堀立直正が鍋城に入って自費で改修し、以降赤間の代官を二十年ほど勤めた。
南部山城は現在の下関市役所の辺りに築かれていた。小高い独立丘陵であったが、大きく削られ遺構は消滅している。