文治元年(1185年)土肥実平によって築かれたと云われる。
壇ノ浦の戦いの後に土肥実平が惣追捕使に任ぜられ、長府の地に築いた居城が土肥山城とされる。
観応年間(1350年〜1352年)頃には厚東太郎が居城していたという。
土肥山城は現在の日頼寺付近に築かれていた。 城郭大系によれば、「日頼寺山脈の一支丘で、高さは40-50mに過ぎないが、山容はすこぶる険阻である。」としている。
現在この山は宅地開発によって消滅しており、日頼寺の西か南の山だと思われるがはっきりした場所は把握していない。この山にかつて「土肥二郎實平之城趾」と刻まれた石碑が建っていたのだが、この石碑が北の川沿いにある小さな公園「土肥山公園」に移されている。
石碑のある「土肥山公園」は長府郵便局から南へ進み川を渡ると西側に「長府藩侍屋敷長屋」がある。ここを西へ曲がりそのまま突き当たりまで行くと公園がある。
最寄り駅(直線距離)