築城年代は定かではない。長門探題北条氏の居城と伝えられる。
建武2年(1335年)鎌倉幕府滅亡後、北条時直の子上野四郎入道が厚東武実の留守中に佐加利山城で挙兵した。これに対して長門守護職となっていた厚東武実は、少弐氏・宗像氏・龍造寺氏などの加勢を受けて佐加利山城を攻め立て、激戦の後に落城したという。
南北朝時代には長門守護代の杉智静が居城としていたが、康暦2年(1380年)大内弘世によって攻められ落城した。
応永6年(1399年)には大内弘茂が長門守護代の陶山佐渡守高安を佐加利山城においている。
佐加利山城は長成中学校の南側辺りに築かれていた。 かつて古城山と呼ばれる山があったようであるが、現在は宅地が立ち並び場所ははっきりしない。古城町、長府江下町、長府中六波町の境付近だと思われるが特に遺構はない。