築城年代は定かではないが南北朝時代に松屋氏によって築かれたと云われる。
松屋氏に関しては詳らかではなく、元弘3年(1333年)厚東武実は長門探題北条時直に従って各地を転戦したが、後に官軍に寝返り北条時直は降った。このとき厚東氏に呼応した地頭の中に松屋氏が居たことが知られるのみである。
大内氏の時代には大内家臣が居たと伝えられ、江戸時代には烽火場となった。
松屋城は王喜小学校の東に聳える標高117mの城山山頂に築かれている。
山頂が削平され端に大きな凹みがある。これが烽火台の跡だろうか。特にこれといった遺構はなく、山頂の曲輪と南東下に小段が確認できる程度である。
登山道は王喜小学校から東の小野溜池に向かう道の途中にあり、入口に案内板が設置されているのでわかるだろう。周辺に駐車場はない。 (地図)
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