江戸時代に萩藩毛利氏に仕えた熊谷氏の居館である。 熊谷氏は安芸国高松山城主であったが、毛利氏の防長二カ国転封にしたがって移ってきた。
江戸時代はじめ、熊谷信直のときに粛清され、一時断絶していたが、熊谷元貞が大坂夏の陣で功を上げ、厚狭郡吉田村などに所領が与えられた。
貞享4年(1687年)熊谷就実のとき自領の津布田で百姓一揆が起こり、その責任を問われて鴨ノ庄に転封となり、この地に屋敷を構えたという。
熊谷氏居館は山の南麓に築かれていた。現在案内板が設置されており、それによれば「御田屋屋敷」と呼ばれ、上下二段で奥の上段には瓢箪池が残されている。