築城年代は定かではない。大内氏の重臣杉伯耆守重良、重矩の居城と伝えられる。
信田丸城は今富川に面した標高342mの山頂に築かれている。
主郭部は山頂部で東西に伸びた尾根に曲輪を展開している。東西に長い主郭(曲輪i)は西がやや高く、東端には石碑と案内板がある。東へは大小四段の腰曲輪があり、一部土塁を伴う。西は土塁の付いた腰曲輪があり、西尾根は二条の堀切(堀1)と竪堀によって側面移動を押さえている。虎口は西の曲輪iiから南の横堀状の通路に降りる虎口1と主郭から南尾根に降りる虎口2がある。虎口1は土塁がやや食い違いとなっている。
曲輪ivは主郭から南西に伸びた尾根にあり、大きく四段の曲輪となる。西側面にはビッシリと畝状竪堀(畝竪1)があるが、畝竪は南や南東側面にも若干痕跡が認められる。西側は現在の登山道が鞍部へと続く道がある。
曲輪vは南の南尾根にあり、土塁の付いた曲輪vとと南西下北東尾根に曲輪が続いている。南東尾根には曲輪viがあり、先端に畝状竪堀(畝竪2)、南西側面にすり鉢状になった腰曲輪があり、その下部にも畝状竪堀(畝竪3)が付いている。
尾根の先端には曲輪vii、曲輪viiiといった削平のみで切岸の甘い曲輪が確認できる。
城山の南東にある十間(じゅっけ)から城南に至る道の入口に案内板が設置されている。ここから城南方面に車で入り、舗装路の終点にある民家の脇から登山道が山頂までついている。車は終点の少し手前にある空き地に置くことができる。
天龍寺に杉重良の墓がある。
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