長門 船木宰判勘場ながと ふなきさいばんかんば
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元禄年間(1688年〜1704年)頃に吉見村にあった厚東郡宰判をこの地に移したという。江戸時代に萩藩毛利氏が領地を管理するために各地に築いた宰判勘場(代官所)の一つである。
船木宰判勘場は現在の宇部市役所支所、宇部市船木ふれあいセンターの辺りに築かれていた。駐車場のところに勘場跡や代官所跡の碑があり、その近くに船木御茶屋跡の碑もある。