詳細不明。永徳元年(1381年)の伊藤家文書に「一北はたかのこの城のふもとをさかふ」となり、鷹ノ子山城の麓を境としていた記載があり、この時期には城が築かれていたと考えられている。
登口の標柱には肥後菊池氏が厚東氏方として大内氏と戦ったところとしている。
鷹ノ子山城は標高221mの鷹ノ子山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。
山頂に南北に長い主郭があり南下に腰曲輪II、南西下にやや広い腰曲輪IIIがある。いずれも削平は甘く切岸も低い。
国道2号線沿いに2ヶ所標柱がたっている。そこから北の山へ入って行くと水田があり、登山口が2ヶ所ある。
登山道は西回りと東回りがあり、東のほうが緩やかで楽に登ることができる。駐車場はないので道幅が広いところに路駐するしかない。
最寄り駅(直線距離)