築城年代は定かではないが鎌倉時代に岡部氏によって築かれたと云われる。
岡部氏は小野篁の後裔で武蔵国岡部庄を名字の地とする関東御家人で、岡部忠綱の二男景澄が長門国美祢郡岩永の地頭として下向したのが始まりという。
岡部氏は長門国守護職厚東氏に従い、それが滅ぼされた後は大内氏に従った。天文20年(1551年)大内義隆が家臣の陶晴賢の謀叛によって大寧寺で自刃したとき、岡部隆景は義隆一行を法泉寺から大寧寺へ至るまで案内役を務め、義隆の自刃に殉じている。
岡部城は堀之内集落の南に聳える山に築かれていたとされるが、山を歩いた限り城郭遺構は確認できなかった。
山頂近くの北東下にかつて神社が祀られていたが、これは現在麓に移されている。地元の方に話を聞いた所、やはりこの山が城跡だと伝えられているということである。