築城年代は定かではない。弘安8年(1285年)大内持世の家臣鷲頭弘忠が築城した石楠山城とも考えられている。
深川城主鷲頭弘忠の支城であった。
沢差城は秋芳桂花小学校の北西に聳える標高263mの山に築かれている。
南北に伸びる山頂部の尾根に大きく3つに区画する曲輪群があり、南の最高所に立地する曲輪が主郭と考えられる。
曲輪Iは山頂部にそって北東から南西に伸びており、北が高く北端は岩が転がっている。中央南側に虎口とも考えられる地形があり、南下に下る通路がある。西端は堀切ではなく、放射線状になった畝状竪堀群1があり、やや緩やかな南側に設けられ、北側は竪堀2のみ確認できる。
曲輪IIは北端部にあり、中央が一番高く、南北に緩やかな傾斜を伴う。北東端にスロープがあり虎口とも考えられるが、新しくつけられた山道かもしれない、それを下ると腰曲輪となり、北側面に道が付いていて北尾根を遮断する堀切8の下部に接続する。北東側は段があるがはっきりせず、浅い堀切があったかもしれない。この堀切部分から南側に三条の連続竪堀9がある。
曲輪IIIはIとIIの間でやや低くなった尾根上にあり、南は堀切4、北も浅い堀切跡と思われる堀切5がある。
南の二末集落から堀底の山道が付いており、これを使って登る事ができるが入口はわかりづらい。
車は秋芳桂花小学校の駐車場を借りた。
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