長門 美祢宰判勘場ながと みねさいばんかんば
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正保3年(1646年)萩藩毛利氏によって築かれた。 江戸時代に萩藩毛利氏が領地を管理するために各地に築いた宰判勘場(代官所)の一つである。
美祢宰判勘場は当初は美東町大田平原のあたりに設けられたが、後に現在の大田小学校の地に移され明治まで続いた。
美祢宰判勘場の遺構はなく、大田小学校の南西隅のところに石碑があるのみである。
近くの大田金霊社は奇兵隊ゆかりの地である。