詳細不明。城主は藤田丹後守政秀で大内氏の家臣であった。弘治元年(1555年)陶晴賢の軍勢と戦って落城、一族は笑止原にて自刃したという。
藤の丸山城は大田川東岸の標高214mの山に築かれている。
単郭の城で主郭は低い段差をともなって複雑な地形をしている。北側がやや張り出しているが用途は不明である。南は自然の急坂で北側に高い切岸を設けている。切岸下は緩斜面がそのまま残り、北西下あたりに竪堀状地形があるが、はっきりしない。
南西尾根を二重堀切1、北東尾根を四重堀切2で遮断している。四重堀切の一番外側は弓形状になった浅い横堀状地形である。
南麓に住んでいる方は城跡があることをご存知で、取り付き方を教えていただいた。農道にあるハシゴのところから山に入って尾根を登って行く。
車は少し南の県道沿いにある高山河川公園の駐車場に駐めることができ、トイレもある。
最寄り駅(直線距離)