築城年代は定かではないが伊佐氏によって築かれたと云われる。
伊佐氏は鎌倉時代に長門国守護職であった佐々木定綱の七男行綱が伊佐の地頭職として入部したのが始まりである。
伊佐城は美祢ICの南に聳える標高384mの城山山頂に築かれている。
伊佐城のある城山は北へ伸びた北峰と北西に伸びた南峰があり、その両方に曲輪群を設けている。主郭ははっきりしないが、造成状況などから北峰をIとしている。
北峰の曲輪群Iは最高所に低い段差の土壇が連なり、周囲は武者走りとなり、北側に腰曲輪を連ねる。北端は横堀2で、西側に竪堀3がある。
南峰は最高所となる曲輪群II、西側に最も広い曲輪IIIがある。曲輪IIの南東下に堀切1があり、その先は自然鞍部となる。曲輪IIIとの間も堀切だったのか中央に土橋状に残り、両側をやや削り込んだ地形が残る。
曲輪IIIから北西下に小さな段差で平段が連なるが、堀切などは見当たらない。
九合目付近に生目神社があり、その参道が利用できる。生目神社からは道がなく、谷筋の登りやすいところを登れば城域に達する。
生目神社の参道は西の県道から細い林道に入り、宇部興産道路と中国自動車道を越えたすぐ先の南側にあり、入口に石碑が建っている。車は宇部興産道路手前のあたりに広い場所があるのでそこに駐めることができる。
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