築城年代は定かではないが岩伽羅城の支城として和田氏によって築かれたと云われる。
天文23年(1554年)岩伽羅城主の和田三河守通興が主家に叛て、荏原城主平岡房実によって攻められ通興が自刃すると、和田氏の所領の三分の一が平岡氏に与えられ吉山城も平岡氏の属城となったが、その後吉山城は和田氏に返還されたようである。
吉山城は東温市総合公園の北東にある標高263mの城山山頂に築かれている。現在はすぐ下を林道が走っており、城山は整備されている。
吉山城は山頂の主郭、北下と南西下の三つの曲輪で構成されている。主郭は南北に長く北端に土塁が付いており、吉山城の石碑と社が祀られている。
北下の曲輪も北端に土塁が付いていて尾根部分には堀切があったようであるが、道が付けられており破壊されている。主郭の切岸の下にも空堀跡と思われる窪地が残されているが、中央より東側にはそれがなく、西側のみである。
南西下の曲輪は主郭の南から西側にかけて広く曲輪となっている。南からの道はこの曲輪を経由して南下の小段を経て主郭へ登るルートになっている。
慈光寺の北側に志津川墓園があり、その北東から林道が続いている。小さな車であればそのまま林道を登って北下の所に駐車できるが、歩いて登ってもしれている。
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