築城年代は定かではないが南北朝時代に築かれた。
元弘3年(1333年)後醍醐天皇の皇子護良親王の令旨を受け、得能通綱、土居通増、忽那義範、大祝安親などが宮方として義兵を挙げると、二月には長門探題北条時直が討伐軍を率いて石井浜へ上陸したが敗戦した。三月になると時直は水居津から上陸して、この星ノ岡城を占拠した。宮方は得能通綱、土居通増らの軍勢が集結して北条軍を急襲し、大敗を喫した時直はその身一つで逃げ去ったという。
星ノ岡城は雲門寺の北にあり、北東から南東に向かって五つほどの小丘が連なる星岡山に築かれていた。
主郭は中央の標高75mの山頂部で「星岡表忠之碑」が建ち星岡古戦場の案内板が設置されている。その南東下に星岡薬師堂の建つ平段がある。
主郭の西側の峰も曲輪だというので見てみたが、中央に円墳らしき土壇はあるが曲輪としては明瞭ではない。その間の鞍部が堀切だというが、これもはっきりしない。
南麓の雲門寺から薬師堂へ登る道が付いている。
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