伊予 大戸城いよ おおどじょう

城郭放浪記


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伊予 大戸城の写真
掲載写真数
形態
山城(340m/250m)
別 名
大友城,大砥城
文化財指定
なし/不明
遺 構
石積,土塁,曲輪,堀切,畝状竪堀群,竪堀,虎口
城 主
平岡氏?,大友眞鳥?
縄張図
大戸城縄張図
歴 史

詳細不明。荏原城の平岡氏の番城、あるいは大友眞鳥が城主であったとも伝えられる。現状では荏原城の詰城と見るべきであろうか。

説 明

大戸城は八坂寺の西、砥部町と松山市浄瑠璃町に跨る標高407.2mの大友山の北峰に築かれている。 大友山山頂部は概ねなだらかな地形ではあるが、明瞭な城郭遺構はなく、北峰のみが城域である。

大戸城は規模も大きく整った山城で、戦国時代末期まで利用されていたものと思われる。曲輪は全体的に土塁が付いていたようであるが、大半は低く内側になだらかに傾斜しており、曲輪がややすり鉢状に見えることもある。これはおそらく後世に開墾され土塁を崩したものと思われ、現在でも山頂近くまで果樹園となっている部分がある。

主郭は南北に長く、虎口と推測される場所は東の虎口1と南の虎口2で、東は帯曲輪viへ出た跡、虎口4が考えられる。南は虎口2から虎口3を経て虎口5に出るルートが考えられる。

北尾根を遮断する堀切1は二重堀切で、南西は竪堀、北東はそのまま自然の谷間へと伸びている。同じく堀2は整った空堀でコの字になって横堀、竪堀として続いている。

一方南尾根は長大な竪堀8があるが、その下方は南の鞍部から続く登山道となっており、後世参道として使われたもののようである。南西側面には畝状竪堀群5があり、南東尾根は堀切4とともに連続竪堀が付随している。

石積は東側側面に多く曲輪viやvii、iiiの北側に確認する。曲輪iiiには大きな石を並べた列石2が確認できるが城郭遺構かどうかは不明である。

案 内

大友山への登山道は未整備ながら東の八坂寺方面からある。ただし、下山ルートとして利用した限り、分岐点が多く迷いそうである。

登ったのは北の尾根からで、舗装された農道の終点手前にある小屋脇から続く山道を使い、途中からは尾根上に登るだけである。

最寄り駅(直線距離)
6.2km 梅本駅
6.2km 牛渕団地前駅
6.5km 北伊予駅
6.6km 平井駅
6.7km 牛渕駅
所在地/地図
愛媛県伊予郡砥部町宮内字大友山
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
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最終訪問日
2017年1月
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