大戸城は八坂寺の西、砥部町と松山市浄瑠璃町に跨る標高407.2mの大友山の北峰に築かれている。 大友山山頂部は概ねなだらかな地形ではあるが、明瞭な城郭遺構はなく、北峰のみが城域である。
大戸城は規模も大きく整った山城で、戦国時代末期まで利用されていたものと思われる。曲輪は全体的に土塁が付いていたようであるが、大半は低く内側になだらかに傾斜しており、曲輪がややすり鉢状に見えることもある。これはおそらく後世に開墾され土塁を崩したものと思われ、現在でも山頂近くまで果樹園となっている部分がある。
主郭は南北に長く、虎口と推測される場所は東の虎口1と南の虎口2で、東は帯曲輪viへ出た跡、虎口4が考えられる。南は虎口2から虎口3を経て虎口5に出るルートが考えられる。
北尾根を遮断する堀切1は二重堀切で、南西は竪堀、北東はそのまま自然の谷間へと伸びている。同じく堀2は整った空堀でコの字になって横堀、竪堀として続いている。
一方南尾根は長大な竪堀8があるが、その下方は南の鞍部から続く登山道となっており、後世参道として使われたもののようである。南西側面には畝状竪堀群5があり、南東尾根は堀切4とともに連続竪堀が付随している。
石積は東側側面に多く曲輪viやvii、iiiの北側に確認する。曲輪iiiには大きな石を並べた列石2が確認できるが城郭遺構かどうかは不明である。
大友山への登山道は未整備ながら東の八坂寺方面からある。ただし、下山ルートとして利用した限り、分岐点が多く迷いそうである。
登ったのは北の尾根からで、舗装された農道の終点手前にある小屋脇から続く山道を使い、途中からは尾根上に登るだけである。
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