築城年代は定かではないが河野氏の一族の和田氏によって築かれたと云われる。
天文23年(1554年)和田三河守通興が主家に叛いたことから、河野通宣から和田氏追討の命を受けた荏原城主平岡房実によって攻められ、岩伽羅城は落城し通興は自刃して果てた。
その後、平岡氏には和田氏の所領の三分の一が与えられ、吉山城も一時平岡氏の属城となった。和田氏は通勝が継いで岩伽羅城主となったが、天正13年(1585年)通勝の子通繁のときに豊臣秀吉による四国征伐で河野氏は滅亡し、和田氏も運命をともにした。
岩伽羅城は標高696mの岩伽羅山山頂に築かれており、登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり案内板や祠が祀られている。主郭の南下に広い曲輪II、北下に南北に長い曲輪IIIがあり、主郭の南東端に二郭との虎口がある。
北背後の尾根は堀切1から堀切4まで大小4つの堀切で遮断してあり、一番外の堀切1と、一番内の堀切4の規模が大きい。
曲輪IIの東下には横堀状の堀5があり、南東尾根を遮断してそのまま竪堀で伸びているが、北側は埋もれているのか堀になっていない。この堀5の外側に畝状竪堀群6がある。現状4条確認できるが藪深く見つけきれていないものがあるかもしれない。
南西尾根は細尾根の先に小さな曲輪状地形IVがあるが周囲は崖地地形でほぼ自然地形と思われる。
東温市総合公園から林道が付いており、その終点が北尾根の標高660m付近になっている。林道は途中まで舗装路であるが、途中からは未舗装のガタガタ道で細くなっている。終点までいけば広い駐車スペースがあるが、途中にもいくつか駐車できそうなスペースはあるので、無理せず歩くのが無難だろう。
下から歩く場合は東温市総合公園の駐車場が利用できる。
岩伽羅城から衣掛城まで歩いてみたが、途中にめぼしい遺構はない。
最寄り駅(直線距離)