詳細不明。『重信町誌』によれば南北朝時代に宮方として長慶天皇を奉迎した加藤遠江守、得居某が城主として伝えられている。
十門城は標高683.9mの通称城山(麓山)に築かれている。麓集落の入口には『長慶天皇行在之地』の石碑がある。
主郭は山頂にあり分厚い土塁囲みの曲輪で北側はさらに一段高くなる。主郭の中央付近に一石五輪塔が祀られている。主郭の東下に曲輪ii、南西下に曲輪iiiがある。
曲輪iiiは曲輪としてはやや不自然ですり鉢状となって北側は東西両側が竪堀状に落ちており、溜池として改変されているのかもしれない。
主郭北に堀切1と西側に竪堀、西へ続く尾根は大堀切4で遮断、さらに西側にも堀状地形があるが後世の改変が大きく不明である。曲輪iiの南下にl字になって東と南に落ちる竪堀2があり、曲輪iiiとの境から落ちる竪堀との間には薄い三条の畝状竪堀群が確認できる。さらに下ると東尾根の堀切から伸びている竪堀5に至る。三条の畝状竪堀群の中央の竪堀から竪堀5を使って木材を下ろす作業路となっており、後世の改変が考えられるが、城の構造として特に違和感がないので、遺構を利用したものと考える。
山腹にある麓集落まで舗装路があり、終点から続く林道入口付近に駐車可能である。作業林道がいろいろ敷設されているが、林道から入って神社を過ぎ水道施設のような建物の手前から山へ入る道があり、それを登って東尾根に登るのがわかりすい。
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