築城年代は定かではないが岩伽羅城の支城として和田氏によって築かれたと云われる。
天正年間(1573年〜1592年)には日吉六郎右衛門(左衛門とも)が守っていたと伝えられる。
衣掛城は岩伽羅城と尾根続きの標高463mの衣掛山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。
衣掛城は標高463mの山頂に主郭部があるが、その後方にも単郭の遺構が残る。
主郭部は南北に三段の削平地があり、西下に帯曲輪状地形IVがある。北東背後の尾根は二条か三条の堀切、南西尾根先も二条か三条の堀切で遮断してある。
曲輪IIIはほぼ平坦ではあるが、切岸が甘く、東側に竪堀状地形3が伸びている。この部分が現在主郭への登り口となっているため、竪堀状の溝になっている可能性が高いが、登山道下まで続いているので、竪堀だった可能性も考えられる。
主郭部から岩伽羅城方面に登ったところ、尾根先が小高くなった部分に曲輪Vがあり、背後を堀切4で遮断する。曲輪は非常に狭く物見か他の城との連絡用であろうか。
ここから岩伽羅城まで歩いてみたが遺構はない。
天満神社の脇を進んで行くと林道日吉谷線の入口がある。ここから林道を進んで行けば登山口に至る。登山口まで普通車でも行くことができ、駐車も可能である。(地図)
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