築城年代は定かでははない。忽那家文書で興国年間(1340年~1346年)に名越城の名が登場することから南北朝時代には築かれていたと考えられる。
城主については詳らかではないが、戒能伊豆守の二男が名越常陸介と称していることから、戒能一族の名越氏の城とも考えられている。
名越城は上音田集落の東背後、標高468mの山に築かれている。
山頂の主郭と南西下の曲輪IIの二つの削平地しかない小規模な城であるが、その周囲は急坂でたやすく登る事はできない。
唯一尾根続きとなる東背後は主郭下に小さな堀切1があり、やや離れた鞍部に堀切2がある。堀切2から南へ伸びた竪堀は山道とつながっているため切通のようでもあるが、先端は別に竪堀として伸びているのでもともと堀切であったと思われる。この堀切2から伸びる竪堀と連動して南側面に畝状竪堀群3がある。畝状竪堀群3は一般的な3mほどの竪堀群は南東の谷間に集約するように落とし、西の大きな二条の竪堀は幅約7mで南に長く伸ばしている。
西麓の国道494号線沿いに「穂田琉園」とカフェ「Kuromori」がある。この駐車場に「雨滝の里歩きマップ」があり名越城も載っている。
登山口は「Kuromori」と民家の間の細い道で、墓地脇を過ぎて山に入っていくとよく歩かれた山道が続いている。城山の直ぐ下で急坂になる直前に南に回り込むような道への分岐がある。このまま山に直進すると急坂で登るのが難しいので、この分岐を南へ回り込み、石垣が見える木橋の手前から続く山道を登って行くのがよいだろう。
最寄り駅(直線距離)